東京事務所でのインターンをふりかえって

こんにちは。私は気候ネットワークにインターンとしてお世話になりました、M.Tと申します。

わずか2週間のインターン期間ではありましたが、いろいろなことを考えさせられるきっかけとなりました。

環境アセスメントの対象外・小規模火力発電所!?

私は現在、上智大学法科大学院に在籍しており、夏季インターン先として気候ネットワークが選択できました。大学院では専ら法律学の勉強をしているのですが、過去に環境科学を学んだ経験があり、その際は一般の環境汚染の問題や気候変動、環境倫理学まで含めて勉強しておりました。ですからいわゆる環境問題について、ある程度の基礎知識はあったと思います。

しかしそれでも、小型石炭火力発電所の建設ラッシュのお話には驚きました。初日にスタッフの方から説明を受けたのですが、いわゆる環境アセスメントの法的必要性がない規模での石炭火力発電が、全国に続々と建設予定であるというのです。

は?

そんな話は聞いたことありませんでした。どういうことだろうと思っていると、早速インターンとしての仕事初めに、『電気新聞』という電力業界新聞の記事整理を依頼されたのです。主に石炭業界や石炭火力発電建設の動向に関しての記事を整理するのですが、生来私は新聞といわれるモノは大好きなので、記事整理にかこつけて、数か月分の記事をざっと走り読みしました。すると、当たり前のことですが、この業界新聞に載っていることで、一般の新聞に載っていないトピックが多々ありました。小型石炭火力発電所建設もこれに含まれるのです。

一般にはあまり報道がなされていないはずです。これは小型ゆえに、環境アセスすなわち環境影響評価法における環境影響評価の対象に含まれていないのも要因かもしれません。発電業者としては、環境アセスにかからないし、そうすれば周辺住民の建設反対運動等の憂き目をほとんど見ることなく建設・運用することができ、石炭の国際価格が長期的に大きく下落していることも相俟って、コストに優れた発電ができるというのです。

垣間見えた電力業界の様々な側面

我々が石炭火力発電という言葉を聞けば、やはり高い煙突からモクモクと煙を吐き出す風景を想像するのではないでしょうか。もちろん、過去にスモッグなどの問題を全国に引き起こした時代の技術とでは、やはり煤煙排出抑制などの点で、現在の技術には進歩が見られるのでしょう。

しかしそれでも、いわゆる京都議定書の議長国である日本は、率先して二酸化炭素その他の温室効果ガスの削減目標達成に取り組まねばならないのに、一般には二酸化炭素排出の元凶であると考えられている石炭火力に回帰しようとしているのは矛盾しているのではないでしょうか。案の定、日本の石炭火力への回帰傾向について、国外から強く批判されているとの記事がありました。

しかし業界新聞を読み進めていくと、電力業界のいろいろな側面も見えてきます。例えば、福島の東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、原子力発電に対して国民から厳しい目が向けられていますが、もちろん電力・原子力業界にしても、最初から事故を起こすつもりで全国に原子力発電所を建設したわけではありません。そこにはいろいろな利権や思惑が国家レベル・地方レベルで交錯しているのかもしれませんが、やはり基本には電力の安定供給を目指す姿勢があったのです。

「当たり前」な電力の安定供給~電力について業界任せに~

私は停電が頻繁に起きる後発開発途上国で生活したことがありますが、安定しない電力供給が、いかに人々の生活の利便性や意欲、仕事の効率を削ぐものであるか、この目で見て実感しました。普段日本で生活していると、電気の安定供給など当たり前で、雷による一時的な停電のときなど以外は、その恩恵を意識することはほとんどありません。

このこともあって、我々電力を消費する側は、電力とその発電に要するエネルギー源について、国や業界・業者任せにしてあまり根本から考えてはこなかったのではないでしょうか。

例えば夜遅くに、ふと都内のビルを見上げてみますと、フロア全体に煌々と明かりがついていますが、おそらく残業をしている人が居るのみであるのに、本当にあんな面積をあんなに明るく照らす必要があるのか、その電力はどの発電所から送られてくるのか、そのためにはどれだけの燃料が燃やされ、あるいはダムの稼働が必要とされているのか、我々一般人はなかなか思い至らないし、まして実感など出来ないものでしょう。

また日々通勤通学のために満員電車に乗っても、これだけの人数を載せて電車1本を1駅間動かすのには、いったいどれだけの電力が必要なのか、まして東京全体ではこの瞬間に何両の電車が運行しているのか、いや全国では・・・考えると気が遠くなってしまいます。

そしてそれら日々使われる膨大なエネルギーは、どこかの発電所で発電されて送電され、そして一旦使われてしまえば再利用することはできないのです。失われてしまうのです。

消費者の意思表明。まずは節電・省エネから

この意味で、来年2016年4月から予定されている、いわゆる電力自由化は、電力消費者の側に電力源を意識させることとなり、また消費者としての意思表明に資するものとなり、電力の民主化に一歩近づく動きであると思います。

電力業界に大きな変革をもたらすものなのでしょう、これに関する記事はさすがに頻繁に見かけました。一方で、この電力新聞は不思議な新聞で、原子力・火力・水力といった発電業界の記事と平行して、それらへの依存を減らす方向性を持った、風力・太陽光・潮力・地熱といったいわゆる自然エネルギーの動向も多く記事になっており、また電力業界による省エネの生徒・児童への啓蒙の運動なども頻繁に記事となっています。

私個人は、そもそも国が、戦後増大していくであろう電力需要に対して、それに対応すべく安定供給を目指して政策上多大な努力を払ってきたであろうことは想像に難くないけれども、節電・省エネという面についての啓蒙・普及については、より効果的な努力をなすことができたのではないか、と考えています。まぁ、電気代を値上げすれば庶民は電気量使用を控えるはず、と考えても、公共料金なのでそう簡単に値上げはできない事情もありますし。

この節電・省エネという分野では、市民の努力やNGOの活躍が今後大いに期待できるところではないでしょうか。家計にやさしいことが環境にもやさしい、エコノミーがエコロジーなわけですね。そもそも双方に共通するECOというのは”住むところ“という意味だそうです。みんな家や土地が自分テリトリーだと思ってますが、本当は地球が住処なのですね。

かつて1980年代くらいに省エネが叫ばれた時には、資源が枯渇する恐怖心からの運動だったのです。それが2000年代になると地球環境そのものを守るため、という思想背景に支えられることになったんですね。このような変化は、皆の意識にはあまり上がらないようですが、実は根本的な大きな変化なのではないでしょうか。そして行政でも事業者でもなく、気候ネットワークのような市民NGOは、この両方のECOを市民にアピールしていく大きな役割と可能性があると思います。

インターンシップの仕事 ~その1電話かけ~

閑話休題。

新聞記事を読み読み、それらの整理に片を付けますと、次は仙台に建設予定の小型石炭火力発電所建設の動向の確認を依頼されました。そもそもこの建設に関しても関連記事が1つしか発見できなかったのですが、それを手掛かりに調査をしなければならないようなのです。一先ず建設には行政の許可が必要になるはずだから、仙台市にでも電話してみよう・・・と、取り掛かりました。

とは言っても、春学期に行政法の授業を受けたものの、おぞましく、かつ不名誉な成績を取ってしまった私は、行政の人と果たして対峙できるのか・・・自信がありませんでしたが、電話口の仙台市職員の方は、発電所建設にあたっての国と自治体への行政上の届出・必要な許可の類を一通り教えてくださいました。あまり情報が出てきていないことを考えても、きっと行政側は情報を隠したがるのではないか、と勘繰って緊張していた私は、電話の向こうの方言にすっかりほだされて、なんか自分にもやれるような気がしてきました。

ここで教えていただいた情報を切り口に、仙台市や宮城県の複数部署、経産省や環境省に数日間電話をして、ぼんやりとですが手続きの実態を把握することができました。またその合間には仙台市の環境保護条例から電気事業法まで、条例や法律の必要箇所を読み込んでみました。条例とそれに関する法律を行き来して読み込んだのは、自分ではこれが初めてだと思います。

普段の勉強では、特定の法律だけを扱うことがほとんどなので、条例と法律の重層的な関係を理解するのはなかなか難しく、簡単にはできないものだということが身をもってわかりました。それでも、実際に地方の役所では、国の法律をこう引用しながら、こう自分たちの条例を立案して成立させているんだな、となんとなくイメージできました。

インターンシップの仕事 ~その2 膨大な発送作業~

また、インターン機関中、体力系の作業として、石炭火力発電所の建設が今後予定されている地域の議員の方宛の封書を、事務所のスタッフの総出で860通ほど作成しました。今後も石炭に頼っていこうとする電力業界の動きを広く知ってもらうためです。

これらの封書を、宛先の議員の方々が直接目にしてくださればよいのですが、秘書やら何やらに囲まれている忙しい議員先生方の目には留まらないかもしれません。地方の議員さん方であれ、今後はイメージ戦略がますます大切になってくるのでしょうから、石炭はダメ!と強く姿勢を打ち出せば、選挙民たる有権者には、エコでクリーンでスローでロハスな心証が形成されるであろうと思いますが、議員ともなるとなかなかそうはいかないのでしょうか。いろいろ大人の事情もあるのかもしれませんね。しかし大人の事情で雁字搦めになるより、子や孫の世代の心配をするのが曲りなりにも政治家のお役目ですから、履き違えてほしくはないですね。

ところが履き違えてる大人に限って、サステナビリティとか国家百年の大計とか殊更に言ったりして、とほい先のことまで考えちゃう自分に酔ってたりしますが、将来のことを考えつつも、まずは今日より明日をちょっとだけ良くしようって行動することだけで、本当は十分じゃないんですかね。

京都議定書の数値目標でも、ある日いきなり達成することはどこの国にも不可能です。少しずつの積み重ねなのではないでしょうか。何かが進歩するってことは、遠大な目標のようで、実は目の前のほんの少しが大事なんじゃないでしょうか。そもそも我々のご先祖様たちもそうしてきたのではないでしょうか。そのごく小さな進歩、それを受け継いでいくことが、結局は遠い未来へのサステナビリティなんだと思います。


数時間の封詰め作業で指先は真っ黒に・・・・。

スタッフみんなで作ったこれらの封書が、少しでも地方議員の方の心に届くように願っています。

所感

しかし考えてみますと、世論や市民の多数意見というものを形成するには、どういうアプローチをしたらよいのでしょうかね。現代では巨大な力を持ったマスコミでさえも、世論を大きく誘導するのは難しいのではないでしょうか。気候変動のような、地球上の生物全てに影響がある変化に対して、どのように人類全体の意思が形成されているのでしょうか。地球温暖化にしても、テレビでよく目にする、盛夏の車の渋滞からメラメラ立ちのぼる陽炎のイメージが人々の心理に影響して、温暖化防止が叫ばれるようになるのでしょうか。あるいは人も動物である以上、その本能から、このままではまずいと肌で感じたりしているのでしょうか。

私としてはそのどちらもあるような気がしています。でも実はデータとしてみると、イメージとは違って、盛夏の最高温度の上昇よりも、真冬にかつてほど最低気温が下がらないことのほうが、温暖化の弊害としては大きいようです。本来なら低温で冬を越せない種が越冬してしまい、感染症や害虫による被害が起き始めているそうです。これはヒトの生物としての本能に訴える危機でしょう。

この危機は、清潔好きで、ゴキブリ一匹にも周章狼狽する我々日本人にとっては、なかなか致命的なものなのではないでしょうか。一方で、既に起こっている気候変動が種としての存続に影響してしまっている生き物たちも現実にいるのです。

気候ネットワークの弁護士スタッフがかかわっている、いわゆる“シロクマ訴訟”の判決文も、インターン中に読んでみました。地球上の生物の権利を人間がどこまで保証できるかは、環境倫理学でも1大テーマです。しかし、種としての存続が脅かされている生物にとっては、いやいや、権利とかはどうでもいいから、とにかく元の通りにしてくれよ、ということかもしれません。

一先ず、このケースでは、シロクマを原告にするという試みを行ったのですが、原告側がアメリカの裁判例などを参考にしつつ、大上段から一大主張を展開し、かつ公害と環境汚染について精緻に論じているのに対して、判決はそれを丁寧に切り崩しています。私が初学者だから尚更でしょうか、日本の裁判所の厳格さを身につまされる判決文となっています。そこには法的な判断を行う多数の枠組みが、そう簡単には変わらないという事実が厳然としてあるように感じます。

環境倫理学の発祥の国であるアメリカなどでは、権利というものをヒトから他の生物、あるいは土地・自然空間、果ては鉱物にまで拡げてゆこうとする学問的試みも始まっているようです。その背景には、実際に彼の国は権利概念を女性へ黒人へと拡大して民主主義を発展させてきたということへの自負もあるでしょう。であるとすれば、他の生物への権利拡大も可能というふうに考えるのも無理ではないのかもしれません。アメリカらしい実証主義的楽観性も見え隠れします。

しかしこれに対して、シロクマ訴訟の判決文は、やはりそう簡単にはいきませんよと、壁を可視化してくれたようでもあります。そもそも、クマとヒトなんて、いざとなればお互い文字どおり、喰ったたり喰われたりするものであるのに、その相手方に対して権利とかを認めたりできるのでしょうか。ここには包括的に、人為的に引き起こされた地球温暖化をヒトがどう収束させていくのか、またその過程において、他の生物の生存環境を奪っているという事実に対し、万物の霊長としてどう責任を取るのか、あるいはとらなくていいのか、法学や環境倫理学における根本的な問題が、壁として提示されているのです。突きつけられているのです。

今後、シロクマ訴訟のような事案は国内外で増えていくでしょう。その中には、あるいは劇的な判決を勝ち取ることができるものもあるのかもしれません。そうなれば、それは大きな意味を持つものとなるでしょう。しかしより重要なのは、我々が常時呼吸しているこの空気の中に、温暖化を引き起こす温室効果ガスが含まれている、そしてそれは地球上どこに行っても逃れられない事実であり、それが我々の日々の活動によって排出されたものであり、その結果が地球上のあらゆる動植物の生存に影響し、大きな変動をもたらしているのだ、と皆がリアルに感じることなのかもしれません。

それはちょうど、我々が常日ごろ可愛がるペットが怪我をしたりして、ああ可哀想と大慌てしたりするとき、自分のペットを生物としてより良く生きさせてあげたい、という思いは、例えば母シロクマが子シロクマを守ろうとする気持ちと実は同じだと気付く、あるいはシロクマだけじゃない、地球上のあらゆる生物が子を慈しみ、あるいは生物として懸命に生きることを志向しているんだなぁ、と感じることと、不可分一体の関係にあるような気がしています。

ヒトは自らを万物の霊長とかいって自画自賛している場合じゃない、それならそれでそれなりの責任を負うのだと思います。

インターンの期間の感想文を書くはずが、なんか妄想文になってしまいました。しかし、以上のようなことは、気候ネットワークにインターンでお世話にならずには考えられなかったことだと感じています。一先ず今の自分には環境法分野を勉強しようという意欲も湧いてきました。

しかしそれには行政法をなんとかせねばならず、目下私にはそれが壁なのでした。行政法、と聞いただけで心にスモッグがかかったように感じますが、いつかそれが晴れる時も来るのかもしれませんね。まぁ、少しずつ向上していければ、と思っています。

(了)

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スタッフ桃井からのコメント

Mさんには、たった2週間ながらもいろいろな作業をやっていただきました。読んでいただくだけで、Mさんの独特のキャラクターが伝わるかと思いますが、インターン期間中は事務所内を盛り上げていただき、こちらも楽しい2週間でした。

次年度の後輩たちにも気候ネットワークでのインターンを経験するように促してくれるとのこと。約束期待してますね! 

桃井