こんにちは、京都事務所スタッフの広瀬です。防災士としても活動しています。

今年、猛暑、豪雨、台風、地震によって被災された皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、被災地の1日も早い復旧をお祈りしています。

猛暑・豪雨・最強レベル台風:災害の年

今年は猛暑、豪雨、最強レベル台風に見舞われ、まるで「温暖化が進んでしまった2100年の予報」を思い起こさせるような被害が頻発。防災への関心は非常に高まることとなりました。

2002年にヨーロッパで広大な範囲で大洪水が起きたのを覚えていますか?このとき、日本の専門家は、同様の大洪水が日本で起きたら、狭い範囲で多くの人が生活しているために、日本ではもっと多くの被害が出るだろうと指摘していました。今年の気候災害とその被害を考えれば、当時の専門家の警告が、その後の日本の防災対策にどれくらい活かされただろうかと考えさせられます。

少しでも多くの方に、地球温暖化と防災について考えていただきたいと思い、今回、記事にまとめてみました。

「防災」ってなに?

「防災」というのは、皆さんご存知の通り、災害を未然に防ぐために行われる取り組みのことです。命を守ることはもちろん、特に最近では人びとが築き上げた生活の質を守っていくために、被害を最小限に抑えることが重要と考えられています。

温暖化が進むことで、これからますます深刻化する気象災害に対し、これまでの経験をどのように活かせるか、今年7月に発生した西日本豪雨によって被災地となった岡山県真備町での災害復興ボランティアの経験から考えてみました。

大きな被害をもたらした、西日本豪雨災害

7月に台風7号が日本に接近すると、梅雨前線を刺激して、大雨を長期間降らせる筋状の雨雲(線状降水帯)が発生し、広島や岡山付近に停滞。この影響で、西日本から東海地方にかけて雨量は観測史上最大値を更新しました。

屋根まで浸水してしまった家

 

気象庁が、「今回の豪雨が過去の豪雨災害と比べて、極めて大きなものだった」とコメントしたのが印象的でした。この豪雨により、北海道から鹿児島まで広範囲に及び、死者227人、行方不明10人、家屋の全壊6,296棟と、甚大な被害をもたらしました。

京都市災害ボランティアセンターを通じて、災害復興ボランティアに参加

西日本豪雨災害では、多くの地域で水が引いた後、迅速にボランティアセンターが設置されました。しかし、広範囲に及ぶ災害だったため、ボランティアを希望する多くの人が、どこへ行くべきか、頭を抱えたと聞いています。

防災士として活動を始めたばかりの私は、たまたま、京都市災害ボランティアセンターが、被害が大きかった岡山県真備町への災害復興ボランティアバスを出すことになっていたので、それを利用することにしました。

移動中のバスの中では、自己紹介をし、グループ活動がスムーズに行くよう配慮もあり、到着する頃には、周りの人たちとすっかり仲良くなれました。26回もボランティアに参加されている人からは、雰囲気作りの大切さを教えてもらいました。

ボランティアセンターからは、長靴、ゴム手袋、ゴーグル、防塵マスク、水2リットルなど、感染症予防や、土埃から身を護るための対策をしっかりするように注意喚起がなされ、また、単独で参加すると、時間をようする手続きも、前もって倉敷市災害復興ボランティアセンターへ手続きをしてくれているため、到着してから活動するまで、非常にスムーズでした。

災害復興ボランティア:現地の活動とは

道路沿いにはあちこちに瓦礫置き場とは別に土砂置き場が設置されている。(撮影:広瀬)

民家の床下の泥を出す作業

私が担当したのは、15人で活動する1軒のお家。台所のシンク、お風呂などを取り外し、床をめくって、床下のドロ出しをする作業でした。

水害から1ヶ月経つのに、まだ壁は乾ききっておらず、一方で床下では、乾燥した泥が浮き上がっていました。バスタブを外しているとき、製造年月日から、築10年のお家だったことがわかりました。

必死で作業を進めているつもりなのに、水回りの作業は難しくてなかなか思うように捗りません。一体何ができるのか、無力さを感じながらも、無心で作業を続けました。

猛暑の影響で、10分ごとに水分補給の声がかかります。熱中症予防のため、こういった作業は、2時間で終了と決まっています。ひとまず、取り外したものを外に出し、バスに戻る時間ギリギリまで活動しました。

 

荷物を置くためのブルーシートを設置(撮影:広瀬)

家主さんからの言葉

帰り際に家主さん夫婦とお話ができました(この地区の町内会長さんだそうです)。

「今日は遠くから有難うございました。暑い中本当に助けていただいてありがとうございました。まだまだ復興には時間が必要です。こうなってしまって何もお礼する事はできませんが、出荷できなくなった桃をみなさん持って帰ってください。」

という挨拶。何とも胸がいっぱいになりながら、みんなで桃を大切に持ってバスに乗りました。

現地で頂いた桃。

「もっと活動したい」ボランティアの強い思い

京都へ帰るバスの中では、アンケートを書く時間があり、京都につく頃に共有されました。お手伝いの経験も大事でしたが、受け入れてくださった現地の方の姿勢にも大きなものを頂いたと思います。

多くの人は、「もっと長く作業時間があればよかった」と書いていたそうです。今年の猛暑や、現地の状況を考えると時間に制限があるのも、よくわかります。しかし、もっと活動したいというボランティアさんの強い気持ちもよくわかる結果でした。

豪雨被害の爪痕を残す、岡山県真備町のようす(撮影:広瀬)

9月25日現在、真備町の避難所で生活している人は、244人となりました。当初の2600人からすると、随分減りましたが、まだまだ復興には時間がかかりそうです。

 

豆知識 災害ボランティア活動の変遷

阪神淡路大震災と「ボランティア元年」

1995年に阪神淡路大震災が起きました。その時全国から救援のため駆けつけたボランティアは、兵庫県の推計では震災から1年間で延べ約138万人だったそうです。この年の12月、「ボランティア」という言葉が初めて法律に明記され、「ボランティア元年」とも言われるようになりました。

被災者のニーズとボランティアを調整する「災害ボランティアセンター」

阪神淡路大震災では、ボランティアが果たした役割は非常に大きかったのですが、その一方で、被災者のニーズとボランティアをつなぐコーディネート機能の不在が課題となりました。このことをきっかけに「災害ボランティアセンター」と言うしくみが作られるようになり、最近では発災からすぐに設置されるようになっています。

 

防災・環境教育のこれから
〜過去から学び、未来に活かす〜

各地に伝わる先人の「防災の知恵」に学ぶ

現地の新聞記事から、真備町の倉敷市立川辺小学校には、昭和51年の記録的な大雨による水害を受けて設置された石碑が立っていることを知りました(大人の膝下くらいの水位を刻んでいるそうです)。

この地域で使われている小学校の副読本には、今回決壊した小田川の主流である高梁川の改修工事の歴史が書かれていて、先人の知恵で安心して暮らせるようになったとの内容が記されているそうです。

この地域に限らず、日本のさまざまな地域でこのような副読本はあるのでしょう。学びの中で、「だからこれからは大丈夫」とするのか、「過去の経験から、この場所は水害のリスクが高いところ」と考えるのかでは、命を守るための行動は変わってきます。

これから深刻になる地球温暖化のリスクも

他方で、過去の経験からは考えられないような気候災害も起きるようになってきています。科学者は、猛暑、豪雨、台風などといった極端な気象現象と地球温暖化との関連を指摘してきました。今すぐCO2を全く出さない生活をみんなが実践したとしても、地球温暖化はすぐには止まりませんし、深刻な気候災害のリスクもしばらく続くことになります。

先人の苦労や功績とともに、気候変動がもたらす自然災害のリスクを知ることが大切です。地球温暖化の緩和・適応を考えていく環境教育・防災教育を積極的に取り入れていく必要があると私は考えます。

 

豆知識 地球温暖化の緩和と適応

緩和 省エネルギー、化石エネルギーから再生可能エネルギーへの転換などによって、地球温暖化の原因物質である温室効果ガスの排出量を削減し、地球温暖化の進行を防ぐこと。

適応 進行する地球温暖化に対して自然生態系や社会・経済システムを調整することにより温暖化の悪影響を軽減すること。例えば、温暖化の影響による海面上昇に対応するため、沿岸に高い堤防を設置したり、作物の作付時期の変更などの対症療法的対策など。クールビズも適応の一種だが、同時にエアコンの設定温度を低くしすぎないようにすることで緩和(ここでは省エネ)の効果も同時に得られる。